<< Indignados  怒れる人々 原発大国フランスの新聞記事を読... >>

”名前を失う”という事。

 フランス語で


Jouer du violon

といえば 

第一義的には ”バイオリンを弾く” という意味だけれでも


それ以外に 


”憐憫の気持ちを喚起する為に嘘をついたり、大げさに言ったりすること。”


という意味もある。


お涙頂戴だ。



私はこういう jouer du violon 的態度が大嫌いだ。


どれだけ悲しくてもそれをストイックに隠してしまうのはもはや教育というよりも・・条件反射レベル。


そういう意味では私は骨の髄まで東北人だ。


しかしながら今日は思うところあってバイオリンを奏でちゃいます。。



まずいきなりですが、思春期の少年のような事を言わせてもらえれば



3月11日以降に私が感じていた悲しみは多くの人には分からないんではないか?と思う。



勿論、私は両親や妹が無事であった身でもあり、実際に故郷を離れて久しいけれども



それでも、やはり悲しい。



新聞の死亡者名欄を見るたびに知り合いを発見するような、そんな日々を過ごした事
がある人が世の中にたくさんいるだろうか??


それでも、まだ新聞に目を通せるようになっただけマシだという事も重々知っている。



最初の数週間は自己防衛の為に死亡者名欄のページを開けるのすら恐ろしかったし


今もきっとそういう状態の人がたくさんいると思う。


私は何故か、この悲しみを共有できる人が岩手、宮城、福島の沿岸部の人以外にいるだろうか?


と考えたときにいつも死者が増えすぎて棺が足りないと嘆いていたバグダットの人達や


かつては有数の文化都市だったカブールの人たちの事を思い浮かべてしまう・・。



そういえば先日もパキスタンのテロの映像を見てめちゃくちゃになった建物を見た瞬間に


何故か女川の映像かと思ってしまった。




先日、被災地の状況が未だにどれだけ大変かという事を話し終えた後に



話していた相手が言った一言に驚愕した。






” そこまでしてどうしてそこにすみ続けたいのかな?”







”    。 。 。 。 。 。 。 。 。 。  ”







驚きと失望で一瞬沈黙した後に


顔を赤くして、怒ったときの常で鼻の頭に汗かきながら色々と言ったけど



どれだけ通じていたんだろう?? 



その人は私よりも10歳以上年上の人だけど、想像力や共感性というのは



知性と同じく、必ずしも生きてきた年齢に比例するものではないわけだし。





少なくとも彼女には義援金集めの件で随分積極的に活動してもらったので



とりあえず彼女の想像力が ” あちらではお金が必要!だから何かしよう ”



という所までは到達していたということに



フランス語で言うところの déjà pas mal  スペイン語の  menos mal と・・・



上を見たらきりがない・・と自分を納得させてみた。




住むところと仕事さへあればどこに住んでもそれで良いと、



皆が思えたら特に福島の避難区域の人たちの苦悩は存在しないだろう。



写真家の藤原新也の記事を読んで一つ私の気持ちをうまく表現している箇所があった。



藤原新也の写真能力よりもその文章表現力の方に魅力を感じていたけど、


彼の感性が私の虚無感を見事に表現してくれている。


そして、誤解を恐れずに言えば やっぱり


現地であの現状を目の当たりにした人の言葉の重さがある。



*******************************************

日々繰り返し放映される(悲劇と結びついた)巨大津波は人々の心に架空の津波を発生
させたように思う。

<中略>

私はそのような、”津波の疑似体験者”のひとりとして現地にはいったのである。

<中略>

陸前高田の広大な残骸の光景を前に、私は予期せぬ奇妙な感情に襲われることになる。
東京にいて私の内部に積もっていた名状しがたい不安定な感情がフッと立ち消え、皮肉な
事に何か安堵の気持ちに包まれたのである。


<中略>

私は妙に冷静に、この計測不可能に思える被災現場を計測していた。計測するには規矩
(物差し)が必要なわけだが、私がその時持ち合わせていた規矩は阪神大震災という
物差しだった。

そして神戸という物差しを三陸の被災地に重ね合わせて見るとき、はじめてわかった単純
なことがある。
同じ大震災の被災地でありながら神戸はそのまま” 神戸 ”という地名を残していたのに
対し、三陸の被災地からは完全に ”地名” が失われていた。


つまり巨大な津波によってあらゆる土地がその土地固有の表象を失い、同じ様相を残した
残骸が延々と続くばかりなのである。
したがって石巻に行こうと陸前高田に行こうと移動感覚すらなく、移動してまたもとの
場所に戻ってきたかのような酩酊感に襲われさえする。


”名前を失う”


それは存在そのものを失うことであり、それがこの未曾有の津波災害の残酷さを
何よりも雄弁に物語っている。



*********************************************



 自分の愛した場所の道々を歩く自分を時々まぶたの裏に想像した直後に

もうそんな日は戻ってこないんだと一人否定する悲しさ。




この自分の気持ちをある日フランス人の友人に説明しようと試みて


” それはまるで自分のアイデンティティを失ったかのような・・・”


と言った後で、なんとなくそれとも違うんだと感じて


” C'est comme comme.... (それはまるで・・まるで・・・) ”


と言葉を見つけかねていたら


友人が静かに






” C'est comme tu perds ton ame ?




” それは魂を失うかのような、そういう感じなんでしょう?”




と代弁してくれた。








女川町では復興後の活動も見込んでこういうボランティア活動をされている


方達がいます。 以前にも紹介しましたが、定期的にリンクします。







大丈夫屋
名前の上をクリックして下さい。


周りの方にも是非広めてください。

b0228941_2330439.jpg


b0228941_23352692.jpg







にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ スペイン情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
[PR]
by melodynelson-2812 | 2011-06-18 23:56 | 東北復興へ向けて
<< Indignados  怒れる人々 原発大国フランスの新聞記事を読... >>