カテゴリ:東北復興へ向けて( 33 )

子供たち



  文藝春秋の8月臨時増刊号はその名も


 ” つなみ ”  


被災地の子供80人の作文が載っています。


子供たちといっても幼稚園から高校生まで年代にはかなり差があるのですが


みんなものすごく上手に作文を書いています。


そしてみんなそれぞれに辛い思いや悲しい思いをしたんだなぁ・・ と涙が出る事もありますが


でもみんな前向きでしっかりとした事を書いていてとっても頼もしいです。


その中のいくつかを紹介します。






つよくてやさしい人になりたい。

南三陸町 志津川小学校 一年   山内君


 3月11日、その日、ぼくは5じかんじゅぎょうでした。 学校から学どうにむかうと中 とつぜん
つうろがゆれました。   とてもつよくゆれたのでこわかったです。

じしんがおわってから、友だちといっしょに学校にもどりました。 すこしくらくなってから
しづ川につなみが来たと先生から聞きました。

ぼくはその時、つなみがどんなものなのかよくわかりませんでした。
きょうしつですごしたその日のよるは、とてもさむかったです。おとうさんとおかあさんに
あいたかったです。

つぎの日、おとうさんがむかえにきました。 おとうさんと学校から下りていくと、いつも見ていた
たてものがこわれてなくなったりしていました。
くるまもいっぱいつぶれていました。 はしもこわれてました。

ぼくのいえははんぶんこわれていました。ぼくはとてもかなしかったです。

小学校のたいいくかんでは、でんきもつかなくて水も出なかったけど、おとうさんとおかあさん、
おねえちゃん、おじいちゃん、それから友だちもいっしょだからさみしくなかったです。

たいいくかんでせいかつしているあいだ、たべものやふくなどひつようなものをたくさんもらいました。
ぜんこくのたくさんの人たちが、ぼくたちのためにおくってくれたのだそうです。

じえいたいの人たちがまいにちごはんをつくってくれました。 ボランティアの人がきてくれて、
いっしょにあそんでくれました。 
ぼくは、たくさんの人にたすけてもらっているんだなぁとおもいました。

こまっている人がいたら、ぼくもたすけてあげたいです。 そんなつよくてやさしい人に
なっていきたいと思います。






夢だったらいいなー

大槌町 赤浜小学校3年  柏崎君


 3月11日、ぼくは、学校にいまいした。 すると、とつぜん地震がきました。そしてぼくが
〔地震だ。〕 とさけびました。

みんながつくえの下にもぐりました。そのときぼくは、津波がくると思いました。
地震がおさまって校庭にひなんしました。 みんなびっくりしていました。
ふく校長先生が三メートルと言いました。

水門をふつうにこす津波がおそってきました。学校のフェンスをこわしながらも学校におそい
かかりました。
ぼくは、いそいでにげました。

余震がつづき電信柱がたおれそうでした。それを見てすぐにげました。山の方にダッシュで
にげました。

津波のゴゴゴゴという音がすごかったです。 3回れんぞくの津波がきてびっくりしました。
家も車もめちゃくちゃで夢をみてるようでした。

すごく寒くて先生のジャンパーをかりたのであたたかかったです。

津波がおさまり、学校の上にあるうめさんという人の家にとめてもらいました。
二日目にお父さんが山田町からあるって帰ってきました。 うれしかったです。

十三日の朝お母さんがまさないから帰ってきたのでとてもうれしかったです。
おふろがないのと電気とガスがない生活をしてみて前の生活がしあわせな事に気づきました。
だから、これからは、むだづかいをしないようにしたいと思います。

うめさんの家から学校にすむことになりました。 一度津波が来たところなのでふあんでしたが
みんないっしょなので心づよい気持ちになりました。

自衛隊のお風呂に入れた時はとても気持ちがよかったです。
自分の家をみにいってなにもなかったです。

ぼくが
〔夢だったらいいなー。〕
と言いました。 そしてお母さんも
〔そうだね。〕
とかえしてくれました。
これからぼくは、前向きにがんばりたいです。





小学校一年生と三年生、とても大事な事を書いています。

感謝の気持ち、物のありがたさ。

40歳の不惑の年でもこういう事もわからない馬鹿者もいるというのに・・。


こういうしっかりした作文も良いですが


こういうのも素直で気持ちが伝わるなーとおもうのです。



お母さんにおこられた

名取市 ゆりあげ小学校3年生  加藤君


 このときにDSをやったのがばかでした。
しんさいのときDSをやったらお母さんにおこられました。



かなしいきもち

仙台市若林区  ろりぽっぷ幼稚園 みさきちゃん


かなしいきもちだった。 うちの犬のもかもまろもうさぎもしんだもん。

いやなきもち。

うちのねこのてつはいきているけど、のらねこのよしだもいきてるもん。





すごく素直だなぁ。




さて、私が出会った子供達も頼もしくて良い子たちでした。


ある日私は


現在避難所となっていて使えない小学校が仮校舎として使っている中学校に置いている備品を


近くの別の小学校に運び出すという引越し作業を手伝いました。




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こんな、学校の備品をひたすら運びだし 小学校に着いたら入れる

を繰り返します。



ひたすら机やいすの搬入が続くので


お手伝いに来た小学校の父兄( 平日だったので主にお母様方 )が一列に並んで

バケツリレーで小学校に運び込みます。 


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 ちょっと一休みの図



運び込む机の上には間違えないようにと 年と組と名前を書いた紙が貼り付けてあります。

その横には



” お願いします。 ”  ” ありがとうございます。 ”


のメッセージが書いてある。


世の中、このありがとうございますが言えない大人がごまんといるというのに


えらい子達です。

中には


 よろしくねがいします。

とか

ありがとうございまた。

とか誤字があるのも微笑ましい。



終わりのないいすや机の搬入が終わっても、紙類や標本などのハードな物が続き

めげそうになりますが


横では、 柔道場が物置になっているのか、使用できない為に

畳を外に置いて、 青空柔道場を設置して 熱心に柔道の練習をしている子供達がいて・・・


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この子達の気合がものすごいので、


思わずこちらも気合が入る 066.gif




バケツリレーの先頭で受け取った物が、ちょっと安定感がない物だったので

渡さないで直で小学校にもっていきまーす。。。 と荷物を運び込まんとと

小学校の建物にはいると・・・



そこには



小さいからだの両手を大きく広げて



” よっしゃ、こーい ! ”


とばかりに荷物を待ち構えている小学校低学年の子が (汗)。


やる気は買うけどちょっと渡せないー と思って


” ごめんねー。ボクにはちょっと重いかもー”


と言って、荷物を所定の位置まで運ぶ。


荷物を置き終わった後に


( いや、あの子男の子じゃなくて、女の子だったかな??? )


と思い返して、 そのこの所に戻ってみると


案の定、 



俯いて  ” 男の子に間違えられた・・・・ ” と先生なのか保護者なのか、大人の女性の前で

拗ねている 007.gif





実はこの男の子に間違われる悲しさというのには私はちょっと敏感で・・。


というのも私自身、小さい頃全く母親の好みで髪型をベリーショートにさせられていて

よく男の子に間違われたのです。


まあ、性格も男の子っぽかったのでしょうがないのですが、これがものすごーく 


嫌 !!  


だったので、男の子に間違われる気持ちはよーく分かっているのです。









慌てて



” ごめんねー。 言ってからすぐ女の子だったー。って思ったんだよぅ。 女の子だよねー

どう見たって。 ごめんねー。急いでたから間違ってしまったんだよー。”




というと機嫌が直ったのか、 顔を上げてこちらを見てる。




”えらいよねー。お手伝いしたいの?? ” 

というと


恥ずかしそうに笑っている。  とっても良い笑顔だった。



こんな小さいからだで、あんな重い物を持とうとするなんて・・。


大人が働いているのをみて自分も何かしないと。


と思っているんだなぁ。




私達大人はこんな子供達にものすごい借りがあると思います。


この子達は津波被害という苦難だけでなく、 放射線被害という苦難にも直面しているのです。


原発という政策を受け入れたのは完全に大人の世界の大人の理屈。


そして放射線汚染の被害を最も敏感に受容するのはこんな素敵な子供達。




小学校3年生だって、これからの自分の態度をかえなくちゃ。って思っているんです。


なんで私達大人がそういう風に思えないんだろう?



充分すぎる程悲しい思いをしたこの子達が笑って暮らせる社会を築くのは私達全員に


課せられた責務だと思うのです。



どこに住んでいたって関係ないです。


この子達の為に 何かを始めないと いけない。


そう思うのです。


こんな活動されているかたもいます。


コラボスクール 女川向学館 

たくさん学んでくれ子供達。 向学館では様々な形での支援を募っています。


私の友人junkoさんは

首相への提言書への署名を募っています。

こちらから




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by melodynelson-2812 | 2011-08-04 08:01 | 東北復興へ向けて

霊性のような物

3日前にMadridに帰ってきてから、仕事でパリ→マドリッドの移動050.gif




昨日の夜は疲れきってボンヤリしていましたが・・



今日は復活 049.gif




記事は引き続きあちらで考えた事、起こった事など続けます。

 

***********************************


世の中偶然とは思えないような事ってありますよね。



それが起こった時の事を考えると何か見えない力 ( 霊性 のような物の力が働いた



としか思えないような事。



そういう事って時々あるんだよなぁ・・。





今、被災地では着々と届けられた写真の洗浄と整理が進んでいます。


気仙沼や大船渡では他の都市と提携して写真洗浄のアウトソーシング


要は津波を潜り抜けた写真を被災地以外の場所に送って、洗浄と整理をしてもらった


後に元の場所に送り戻すという事なのですが・・




そういう活動をしている所もあります。

これなら、遠くから被災地まで来る必要もなく、自分の生活を続けながら

ボランティアができますね。




女川町はまだそういったアウトソーシングはしていませんが


5月に行った時に比べたら格段に洗浄と整理が進んでいます。



まず5月はこのように・・


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野ざらしにされていた写真達が







屋内に保管されています。


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そしてかなりの数の写真が(見つけられた)地区毎に分けられ、


一枚、一枚に認識番号が点けられて探しやすいようになっています。


アルバムごと見つかった場合はアルバムにも認識番号がつけられてて


アルバムの写真の一部のみを展示して、出来る限り多くの写真が持ち主や家族に発見され


返されるシステムが構築されています。




勿論、それらの写真は洗浄されて、綺麗なアルバムに入れられています。




ここまでして下さった写真洗浄に携わった方達には本当に頭が下がります。





というのもこの写真洗浄というもの、


実際やってみて分ったのですが、




かなり神経も使うし根気もいります。





まずは届けられたアルバム類や写真の束を全部別々にします。


別々にするというのは届けられた写真は全て海水に浸かって大抵の場合油や砂がこびりついて


いるので、まず写真を傷つけないように引き剥がさないといけません。




そして一枚一枚の写真の裏に地区と番号を記入していいきます。



そして一枚ずつ洗浄 → 乾燥 → 地区毎のアルバムに収納 → 

→ すぐ取り出せるようにアーカイブ



という肯定を辿ります。


砂や油がこびりついた写真を破かないように、色を落とさないように一枚一枚、


筆や歯ブラシや刷毛を使って洗浄をする作業は細心の注意が必要になります。




しかも・・




湿った物があって、バクテリアなどがこびりついた物(写真)があるここは




ハエの楽園




作業中にハエの攻撃にさらされて、ますます神経が・・・。



こちらでの作業一日目、


大まかな作業の手順を教わって ”さあ~、やるか~ !”


と思っていた私の目にふと飛び込んできたのは・・




なんと・・


 私の姉の名前と誕生日が書かれた紙



 ? ? ? ? 




こちらでみんなと作業している間は自分の写真捜索はしない。



と決めていたのですが



さすがに気になって 思わず




”この紙何ですか?うちの姉の名前が書いてありますけど・・”



と聞くと



写真洗浄の責任者の方が



”その紙の後ろにある入れ物の中の写真が貼ってあったアルバムのね、 裏表紙に書いてあった


のがその文言ですよ”  と仰る。




アルバムや写真にヒントとなるような文言や名前があった場合は見つかりやすいように


写真の上にその文言を書いた紙を貼り付けているのです。




ということは・・





 姉のアルバムだー 049.gif







と思って、後ろにある写真を手に取って見て見ると・・・・








全く知らない人達の写真ばかり・・・・。




作業をされている方が親切に



”よーく見てご覧。近くの番号の物も見てご覧”



と言ってくれますが、 どれも私が見たことのない写真ばかり。




おかしいな~写真がごちゃまぜになったのかな・・と皆で首を捻りながらも



ともかく洗浄作業を開始。



さて、現在私の両親が住んでいる借家は元々が母の従兄弟が所有するものでして



そもそもこの家主さん自身も津波の被害で家に住めなくなったので3:11以降に



こちらに引っ越してきたのです。


で、実は家主さんのお隣に住んでいるのも被害を受けた母の従兄弟家族、


で新しく引っ越してきたばかりの階下の住人も母の従兄弟。





まるで  福建省の客家の土楼 
 (分らない人はwikiって下さい。) 


もかくや、という状態になっていまして。



やっぱりああいう一族だけが住む集合住宅ってのは、厳しい生活環境を乗り切る知恵だったんだ


な・・と妙に感心している私、まりまんどななのですが・・。




で、新しく階下に引っ越してきた母の従兄弟。実は



母上(母にとっては叔母)が津波が迫る中 家にいる所を目撃されて以来行方不明なのです。



従兄弟本人は船乗りなので、その時は家におらず難を逃れましたが



独身者の彼は独身で船乗りという特殊な生活リズムで暮らしている事もあり


今までずーっと母親と同居していたのです。




いずれは母親と離れて暮らす日が来ると思っていたとは言えこんな形で


一人暮らしを始めるとは周りはおろか本人も予想だにしなかった事。




母とはかなり年が離れているとはいえ、ばっちりおじさんの年齢の従兄弟。





みな、その境遇を気の毒がって船を下りてすぐに生活が始められるように。と



生活用具一式を用意して部屋を整えて彼の船が寄港するのを待っていました。




数日前にその彼が引っ越してきてからは 彼が寂しい思いをしないようにと


代わる代わる、夕食に誘ったりしていました。




前置きが長くなりましたが・・




姉の誕生日の書かれたアルバムの事をいぶかりながらも作業を続けていると




何故か、ふと



”あの母の従兄弟は若いとき、女の子っぽい顔してたよな・・”という記憶が突然甦る。




そんな脈絡のないことを考えていると、一緒に作業をしていた男性が


”ねーね、もう一回写真良く見てみなよ。知り合いかもしれないよ。”


と話しかけてくる。



で、期待もせずに写真の束の一枚をまた手に取って見て見ると・・・




白黒の写真の中の小さな男の子。 目が大きくて女の子っぽい子。



似てる・・・・ 母の従兄弟に似ている。







今度は真剣に、他の写真に写っている人達を見てみる。



なんと、そこには若かりし頃の彼の母親が写っていました。


未だ行方不明の彼のお母さん。





私の記憶の中では老女のイメージしかない母上ですが、写真を撮ったころはまだ20代と思われる



頃で、お洒落なワンピースを着ている。


あまりにイメージとかけ離れているので、気づきませんでしたが



そう気づいてから見て見ると、そこに写っているのは小さい頃の母の従兄弟達や


その両親達。



そこまで来ると、そのアルバムは姉の出産祝いのお返しに私の両親が母の叔母に贈った



ものなのだろう。という推測が容易に成り立つ。




事情を説明して、同じ認識番号がふられている写真を全て新しいアルバムに貼り治し



持ち帰ってみる。




帰宅後、母の従兄弟に電話して夕食に誘ってみるも遠慮をして ”いらない ”と言う。



”今日、すごく良い物拾ったんだよ。”



というと すかさず     ”何拾った?” 


”知りたかったらご飯食べに来るんだね。 ”   


と半ば脅し気味に食事に来させて





アルバムの中の彼の小さい頃の写真を見せながら




” この人誰??”




と聞くと




”・・・・・・・・・ 俺だ ・・・・・・・。



”じゃ、この人は?? ”


と若かりし頃の母上を指すと、




だまーったまんま、質問に答えず写真を見始めました。



最後まで見終わってからまた初めから見始めました。



”おやじの写真もある、珍しいな~。”



とか何とか言いながら、また最初から見始めました。



笑いながら、何度も何度もアルバムを見ていました。






写真洗浄の作業は私は3、4日しかしていないのですが、その初日にこのアルバムを



見つけたというのは、やはり写真が私を呼んだとしか思えません。




だって ↓  こんな量の写真があるんですよ。

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ところで・・・



ちょっと気まずい事が一つ。



見つけたアルバムの中に、一つだけ年代がちょっと違う2枚の写真。


生まれて間もない赤ちゃんの写真。


理屈から言えば、これは姉の写真なんだろうか??



と何度も見てみるけど どーしても姉の小さい頃と結びつかない。


作業場に迎えに来た父に早速その写真を見せると




” この子はまりまんどな姉ではないね。 ”


と断定。


ま、確かに女の子というよりも男の子っぽいかな・・・と思いつつ、



帰宅後、その写真を見て母が一言。



”まりまんどな姉の写真だ !! ”



”でもお父さんが違うって言ってたよ。 ” と言うと




  "自分で産んだ子を間違う母親はいない。”
 



と一言。



父は無言でしたが、



男親ってやっぱりそんなもんですかね??



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by melodynelson-2812 | 2011-07-29 03:57 | 東北復興へ向けて

来ないと伝わらない物がある。

 


 いやはや、なんだかんだと忙しくて(汗)。



ここ数日、どうせ被災地にいるのならこちらでボランティア活動をしている方達の



お手伝いでもさせて貰おうと思いまして、



ある時はかなり行き当たりばったりに、参加させてもらい・・・



何でも屋のごとく色々やりました(笑)。




ある時は側溝のヘドロ除去、ある時は津波の後に見つかった写真の洗浄、


ある時は引越し手伝い、ある時は津波でバラバラになった冷蔵庫小屋の組み立て(!)


ある時は避難所の草むしり・・




そこで、様々な人達に会いました。



色んな方が色んな理由で 石巻、女川に入っていて 興味深いお話しを聞かせていただきました。


皆さん真摯にご自分の事を語ってくれて・・


"ありがとうございました! 
 



石巻にも女川にも縁のないたくさんの人達が、何かをしようと思って来てくれていると


知る事ができただけでも、すごく力強い気持ちになれました。





みなさん ほーんとに色んな形でこちらにいらっしゃっています。











うちの地区の地区長さんが ”明日側溝のヘドロ除去やるよー!”



というので、頭と首にタオルを巻きつけ かなり男前な姿で集合場所に行くと・・・


そこには某有名ボランティア団体のチョッキを着けた若者の集団が!!





どうやら、側溝掃除をするのはボランティア団体の方で 地区の方はその補助をするようでした。



男前066.gifの服装で準備して来たからには・・


ここで引く訳にはいかない。



ものは経験、


というのも自分自身では絶対関わる事はなさそうなこの有名ボランティア団体の


活動に参加できるのなら 是非 。




 興味津々 ですっ!!





指導者的立場と思われる若者のノリが妙な感じで私がこの団体に関して持っていた印象と


ものすごく合致する感じで、 



あー、こういうノリなー(苦笑) と一人ヤサグレながらも・・




側溝のヘドロ除去!  




けっこう   大変  です・・。



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しかも、この日の暑さは 東北とは思えない程の




真夏日 058.gif



側溝のブロックを外す → ヘドロを掻きだす → ブロックを元に戻す 


と同時に


ヘドロを土嚢袋に入れる→ 土嚢袋を縛って → トラックに載せる


作業をする。



みんな汗だくでほぼ無我の境地に至りそうになりながら作業を続ける。



しかも近くに工業港があるこの辺りは石油タンクが横転した為にヘドロが石油臭っっ。



粉塵マスクをしようとも、その臭いが伝わって来る・・。



私は主に土嚢袋の保持・管理をしていたので




お陰様で 今は




特技: 土嚢袋を綺麗に結べる事




と履歴書にかけそうです。




休み時間の間に参加者に聞いたところ彼らは



金曜日の夜に東京をバスで発ち、土曜・日曜と作業をして日曜日の夜にまたバス、月曜日の


朝に東京に戻る。



という超・超・ハードスケジュールできているらしい。





しかも宿泊施設には シャワー設備無し 





本当に、彼らには 感謝 と尊敬の気持ちだけれども、




正直、これはあまりにハード過ぎてリピーター来てくれるかな・・・とちょっと心配です。




学生さん風の方もいましたが




殆どはお勤めされている方で、連休を利用して来られているとの事。





説明会やボランティア保険の加入もお昼休みを利用して行かれたんだとか・・。





私はヘドロ除去作業の後に帰宅しましたが



彼らは女川に”視察 ” に出発しました。






この被害が大きいところの視察に関しては地元の人でも ”見世物にしないで!”という


意見もありますが 私は個人的には




どんどん来て見て下さい!!   




と思っています。





あのね、写真やテレビでは伝わりませんよ。何も。




私があちらで知り合った看護師さんが仰っていました。






この方は看護師の資格を生かしてボランティア活動をすべく仙台のボランティア団体に



登録して、かなり遠方からいらっしゃっていた一本気で素敵な方なのですが




その方は




”仙台から石巻の被害の無い地区を通ってきた時に、あまりに普通の生活が続いていて


自分はここに来た意味がなかったんじゃ?と思ってんだけど。ある一点を超えて廃墟のように


なった町を見たときの衝撃はものすごかった。”



と仰っていました。 そして



”それは、テレビや写真と見るのとは全く違った現実感があり津波被害の本当に意味がわかった”



とも言っていました。




そして嬉しい事に




”この町がすごく好きになったから絶対絶対また戻ってくる。”とも。







高校生のお嬢さんを連れたご夫婦は車で横浜からいらっしゃっていました。




”毎月一回のペースで週末来るようにしているんです。”



とか。


余震が来てお嬢さんは怖がっていましたが、テント持参で来られるこのご夫婦の



お嬢様なら大丈夫!! と妙に安心。





やっぱり、その場にいってそこの空気を吸わないと分からないですよ、そこで起こっていることは。






こうやっていらっしゃっている方は何も特別な方々ではなくて



とにかく、何かしたい!という気持ちがある以外は私のようにごく普通の方達です。





被災地に一度来て見ませんか??  







誰の為でもなく自身の為になるはずなんだけどな。



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by melodynelson-2812 | 2011-07-24 23:30 | 東北復興へ向けて

2ヶ月経っての変化(女川)

 


 5月に来た時からの変化 先日は石巻市でしたが今日は女川町です。




何日間かに分けてあちこち行って来ました。


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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、




相変わらず、爆撃を受けた地のように



建物の残骸だけで、何もないねぇ・・・・





試しに上の方から見てみたけど・・




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荒地のごとく・・・ 寂しいねぇ・・。






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ここの建物の上に乗っていた家が・・



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撤去されていました 049.gif



今までは町の小学校に間借りしていた町の庁舎ができました。


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そして町の小学校に行って見ると、



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子供達に灰色の町ばかりを見せていては可愛そうという事で、



教職員達や町の人が中心となって春に植えた花達が咲いていました。



奥の方で花の手入れをしているのは教頭先生。



お話しを聞く限り、花の手入れが得意な様子。


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どんどん大きくなれ! ヒマワリの花!!   






そして 校舎の軒先には



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幸せを運ぶというツバメの巣があり、


しかもツバメのあかちゃん達が忙しく鳴いていました!



ツバメさん達、今年もここに帰ってきてくれてありがとう003.gif







さて、町内の商業活動としてこんな物がオープンしました。



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コンテナ村商店街



これは店舗を失った商店主達が集まってコンテナの仮の店舗を使って営業しています。



このコンテナは無償で提供されており、またこの土地も町内の方が提供してくれました。



中には花屋、豆腐屋、電気屋、八百屋、食堂、海産物屋等があり



最近は小さい居酒屋もできました!



実は上記の写真は他所のブログからお借りした写真でして・・。




私は着いてそうそうに商店主の一人と



立ち話し (地元でいう”話しっこかだり”)に勤しんでしまい、写真を撮るのを



失念していました・・・。



オープンに奔走した商店主の奥さんがオープン前に




”とにかく、町の人が来て <話しっこかだり>でもしてくれればそれで良い”



と言っていました。


*:だからと行って話しだけして何も買わずに帰ってきた訳ではないですよ。
  数の子お買い上げ。




そしてこのコンテナ村商店街の近くには




先日紹介したご当地キャラ 



リアスの戦士 イーガー



のプロジェクトに関わっている方のお店




通称、  イーガーハウス 

が営業しています。



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海草や手作りの小物を売っています。



海草好きの私は当然岩のりとあとは手作りのラブリーな草履を お買いあげ!



しかも・・ 図々しくもふのりをおまけに頂きました(汗)。



ここではみなさんお忙しい中店内に招き入れて頂き



長々と茶飲み話し <おぢゃっこ飲みとも言う。>をして参りました。


すっかりお言葉に甘えてしまい・・




この時に年齢が近い、お店を切り盛りしている女性達との会話はとても興味深いもので



後日ゆっくり記事にしたいと思いますが・・・






現在、被災地では大手コンビニ、大型スーパーの出店ラッシュが始まっています。




特にコンビニには雨後の竹の子のごとく・・・。




そして民主党のあの方にも縁が深い、石巻市内の大型スーパー



いつ行っても




人がいっぱい




今後 次々に大手資本のチェーン店の出店が始まるでしょう。




反対に資本力がない個人商店や、地元の企業は様々な理由で事業を始める事を


躊躇しています。





資本力で淘汰されてこの辺りには大手資本のチェーン店ばかりになり



石巻も女川も南三陸も気仙沼も宮古も・・・



どこにいっても同じような店が立ち並ぶ、同じような町並みが並んでいたら・・・




考えただけでもおぞましいです。





しかし個人商店が撤退していく減少は、今に始まったことでも


被災地に限った事ではない物の、



この災害の後で、その減少にさらに拍車がかかるのでは・・と私は危惧しています。




今私達は実は ”東北の新しい町のあり方”ひいては ”日本の新しいコミュニティーのあり方”

を決める重要なポイントに立っているのではないか?


と思うのです。




女川コンテナ村商店街の方々の気概とやる気を見てつくづく


守らなければいけないのはこういう様な物なのではないか?


コンテナ村によちよち歩きで買い物にくるお年よりと、店主の光景を見て


なんとしても失ってはいけないものがある。と思うのです。


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by melodynelson-2812 | 2011-07-20 18:06 | 東北復興へ向けて

2ヶ月経っての変化(石巻)

 

 私が5月に来た時と比べて石巻市の変化についての私見です。



まず、石巻(イシマキと仰る方がいますがイシノマキと読みます)と一口にいっても



平成の大合併で7市町村が合併しているので範囲はかなり大きい都市です。



よって、津波被害の度合いも地域によって全く違いますので、これはあくまでも私が



現在、いる辺りの様子です。





すぐに気づいたのは、




道や、たんぼに流出した車の数が断然に減りました。




5月の田んぼの様子


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7月の田んぼの様子


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まだ田んぼのあぜ道にいくつか車はありますが、以前のように田んぼのあちこちに


車が突っ込んで、まさに突き刺さるかのような状態の物はなくなりました。



田んぼのあぜ道を中学生が制服姿で自転車で駆けるのどかな風景の後ろに



車が突き刺さる非現実的な風景が広がるのを見る度に奇妙な気持ちになりました。



こんな非現実的な状態に一体みんながどれだけ耐えられるのか心配していましたが


そういう状況が改善されたのはちょっと安心です。








次に、住宅街のガレキが減りました。


5月の住宅街の様子


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 あちこちに手付かずのガレキが散乱していて、まさに



めちゃくちゃという言葉が相応しい状態。



7月の様子


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遠くから見るとわかりませんが、家のガラス窓は入れられてない状態で、中はめちゃめちゃ。




住宅街のガレキは撤去されて、


被害のあった1階部分を修理してすでに住み始めている方もいらっしゃいますし、


勿論、まだ手付かずで家が壊れたままの所もあり・・・



でも、大多数の家は住み始めるのか、修理をしてまた住み始めるのか決めかねている様子。


長年すみ始めた家を荒れ果てたまま、取り壊すのが忍びないのか・・


ガレキが撤去された後の破壊された家を可能な限り片付けた後と思われる家もありました。



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こんな物を発見し、



胸が痛む・・・。








住宅街のガレキは減りましたが・・・


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あちこちにこんなガレキの山があちこちに・・・。



このガレキ問題。



石巻市一つの市で3月11日のあとに出たガレキの量は


通常、市が出すガレキ量の106年間分に相当します。



そしてこのガレキの処理問題は、全く解決していません



被災地の復旧にはまだまだやるべきことがたくさんあります。



テレビではあれが再開したー、これは復興の第一歩だーという話しばかりしますが、


実際の状況は、 


ガレキの処理一つを取っても、


右のガレキを左に置いた、ただそれだけ


皆さん、どうぞこんな被災地の状況を知ってください。



まだまだ、長い道のりの最初の第一歩を踏出したばかりなのです。


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by melodynelson-2812 | 2011-07-16 18:19 | 東北復興へ向けて

同じサッカー選手ならわかるはず!

 突然ですが、マドリッドのサッカークラブ、

Real Madrid に強力なコネがある人はいませんか???

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あ、バルセロナのF.C Baecelona  でも良いのですが・・・。

(我ながら節操が無い・・・)


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いや、別にサッカーの試合のチケットが欲しいとかじゃないですよ。


サインと応援メッセージが欲しいのです。




地元の人以外は知らないと思いますが、


コバルトーレ女川という地域リーグのサッカークラブがあります。


このコバルトーレの選手達のこんな特集を見てしまいまして・・・。









ちょっと・・・・・良い青年達ではありませんか・・・・。



後半ちょっと・・・・・涙が・・・・押さえ切れない。




いや、感動しました。  良い子達です。

( あの元テニス選手がうっとおしいのはスルーして下さい。



で、この彼らに向けて世界的に知られている同じサッカー選手が応援メッセージを


送ったらどうだろう??  と考えたわけです。



サッカーファンの方には申し訳ないが、私はサッカーには興味がなくて


正直言えばスペイン人がレアルだー、バルサだーと言っているのを



あちこちに宣伝をつけた大金持ちの若い男が玉を蹴るのに何故そんなにムキになるのか???



と思っていたくらいです。




でもこのコバルトーレの彼らのサッカーに対する気持ちには撃たれました。



サッカーがんばって欲しい。


で、世界的に有名なサッカー選手が彼らを応援している。


と励みになってくれたらそれで良いと思ったわけです。



まず、この私の気持ちを義理両親との昼食の時に打ち明けた所、


話しを最後まで聞かずに



” サッカーをまた始められるように援助をお願いするんだねー”



と早合点されて・・・




いや、援助なんてそんな大それたことではなくて・・・・



彼らからの応援メッセージやサインを貰いたいと打ち明けると




” あら?どうして援助だって頼んでみた方が良いよ。相手はお金持ちのクラブなんだから。”



とさすが施しに重きを置く カソリック教徒らしい事を言う・・・。




なんとかきちんと説明してレアルの公式HPを探してもらうと



連絡先が明記されているのを発見!!!!




こちらにメールを送ることに決定・・・。




でも義理ママ曰く



”今はシーズンが終わって、試合も無いし レアルの人たちも休みに入っている頃でしょう?
何か行動を起こすのにはちょっと時期が悪いわね~”





それに、ここは



コネ帝国 スペイン




というわけで、無いツテを探しつつ なんとかレアルの関係者に連絡がつかないか・・と


模索中でして・・・。





それにしても、実は私は一年位前にマドリッドからパリに移動する飛行機の中で



レアルの顧問で、元フランス代表の



ジネジン・ジダン 


隣同士で旅をした事がありまして・・・。



私はミーハーな傾向がゼロの人間なので


サインや写真をねだる人たちを奇異な目で見ておりましたが・・・





くーっっっっ!!!021.gif



今なら絶対、迷惑を顧みずに事情を説明してコバルトーレへの応援メッセージを書いてもらう所だ・・。




しかもジダンさん、男性がサインをねだる時は明らかに迷惑気だったが


女性がサインと写真をねだっている時はあきらかに嬉しそうだった・・・・。



あー。あんな偶然がまた訪れてこないかしら・・・・。






と言うわけで、



この計画がどうなるかは後日お知らせしますが



スペインのサッカーチームに強力なコネがあると言う方。


是非、ご協力願います ♪ ♪ ♪ 



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by melodynelson-2812 | 2011-06-28 06:19 | 東北復興へ向けて

”名前を失う”という事。

 フランス語で


Jouer du violon

といえば 

第一義的には ”バイオリンを弾く” という意味だけれでも


それ以外に 


”憐憫の気持ちを喚起する為に嘘をついたり、大げさに言ったりすること。”


という意味もある。


お涙頂戴だ。



私はこういう jouer du violon 的態度が大嫌いだ。


どれだけ悲しくてもそれをストイックに隠してしまうのはもはや教育というよりも・・条件反射レベル。


そういう意味では私は骨の髄まで東北人だ。


しかしながら今日は思うところあってバイオリンを奏でちゃいます。。



まずいきなりですが、思春期の少年のような事を言わせてもらえれば



3月11日以降に私が感じていた悲しみは多くの人には分からないんではないか?と思う。



勿論、私は両親や妹が無事であった身でもあり、実際に故郷を離れて久しいけれども



それでも、やはり悲しい。



新聞の死亡者名欄を見るたびに知り合いを発見するような、そんな日々を過ごした事
がある人が世の中にたくさんいるだろうか??


それでも、まだ新聞に目を通せるようになっただけマシだという事も重々知っている。



最初の数週間は自己防衛の為に死亡者名欄のページを開けるのすら恐ろしかったし


今もきっとそういう状態の人がたくさんいると思う。


私は何故か、この悲しみを共有できる人が岩手、宮城、福島の沿岸部の人以外にいるだろうか?


と考えたときにいつも死者が増えすぎて棺が足りないと嘆いていたバグダットの人達や


かつては有数の文化都市だったカブールの人たちの事を思い浮かべてしまう・・。



そういえば先日もパキスタンのテロの映像を見てめちゃくちゃになった建物を見た瞬間に


何故か女川の映像かと思ってしまった。




先日、被災地の状況が未だにどれだけ大変かという事を話し終えた後に



話していた相手が言った一言に驚愕した。






” そこまでしてどうしてそこにすみ続けたいのかな?”







”    。 。 。 。 。 。 。 。 。 。  ”







驚きと失望で一瞬沈黙した後に


顔を赤くして、怒ったときの常で鼻の頭に汗かきながら色々と言ったけど



どれだけ通じていたんだろう?? 



その人は私よりも10歳以上年上の人だけど、想像力や共感性というのは



知性と同じく、必ずしも生きてきた年齢に比例するものではないわけだし。





少なくとも彼女には義援金集めの件で随分積極的に活動してもらったので



とりあえず彼女の想像力が ” あちらではお金が必要!だから何かしよう ”



という所までは到達していたということに



フランス語で言うところの déjà pas mal  スペイン語の  menos mal と・・・



上を見たらきりがない・・と自分を納得させてみた。




住むところと仕事さへあればどこに住んでもそれで良いと、



皆が思えたら特に福島の避難区域の人たちの苦悩は存在しないだろう。



写真家の藤原新也の記事を読んで一つ私の気持ちをうまく表現している箇所があった。



藤原新也の写真能力よりもその文章表現力の方に魅力を感じていたけど、


彼の感性が私の虚無感を見事に表現してくれている。


そして、誤解を恐れずに言えば やっぱり


現地であの現状を目の当たりにした人の言葉の重さがある。



*******************************************

日々繰り返し放映される(悲劇と結びついた)巨大津波は人々の心に架空の津波を発生
させたように思う。

<中略>

私はそのような、”津波の疑似体験者”のひとりとして現地にはいったのである。

<中略>

陸前高田の広大な残骸の光景を前に、私は予期せぬ奇妙な感情に襲われることになる。
東京にいて私の内部に積もっていた名状しがたい不安定な感情がフッと立ち消え、皮肉な
事に何か安堵の気持ちに包まれたのである。


<中略>

私は妙に冷静に、この計測不可能に思える被災現場を計測していた。計測するには規矩
(物差し)が必要なわけだが、私がその時持ち合わせていた規矩は阪神大震災という
物差しだった。

そして神戸という物差しを三陸の被災地に重ね合わせて見るとき、はじめてわかった単純
なことがある。
同じ大震災の被災地でありながら神戸はそのまま” 神戸 ”という地名を残していたのに
対し、三陸の被災地からは完全に ”地名” が失われていた。


つまり巨大な津波によってあらゆる土地がその土地固有の表象を失い、同じ様相を残した
残骸が延々と続くばかりなのである。
したがって石巻に行こうと陸前高田に行こうと移動感覚すらなく、移動してまたもとの
場所に戻ってきたかのような酩酊感に襲われさえする。


”名前を失う”


それは存在そのものを失うことであり、それがこの未曾有の津波災害の残酷さを
何よりも雄弁に物語っている。



*********************************************



 自分の愛した場所の道々を歩く自分を時々まぶたの裏に想像した直後に

もうそんな日は戻ってこないんだと一人否定する悲しさ。




この自分の気持ちをある日フランス人の友人に説明しようと試みて


” それはまるで自分のアイデンティティを失ったかのような・・・”


と言った後で、なんとなくそれとも違うんだと感じて


” C'est comme comme.... (それはまるで・・まるで・・・) ”


と言葉を見つけかねていたら


友人が静かに






” C'est comme tu perds ton ame ?




” それは魂を失うかのような、そういう感じなんでしょう?”




と代弁してくれた。








女川町では復興後の活動も見込んでこういうボランティア活動をされている


方達がいます。 以前にも紹介しましたが、定期的にリンクします。







大丈夫屋
名前の上をクリックして下さい。


周りの方にも是非広めてください。

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by melodynelson-2812 | 2011-06-18 23:56 | 東北復興へ向けて

震災後のデマを検証

 昨日に引き続いて、震災後に飛び交ったデマについてです。

現地に住んでいる中国人達が徒党を組んで窃盗をはたらいている。

という噂を聞いたのは事実です。



また、津波の為に避難した後に家に一旦戻ってみると盗難にあったという人の

中で、 ”盗んだのは中国人だ。”と不思議なまでの確信を持って断定した人もいました。



こういった噂以外にも、地震直後の過密状態の避難所で加工業などに研修生という名目で

町に働きにきていた中国人達がルールを守らない。 中国人達で固まっている。


などという理由で直接不満を訴える人や白眼視する雰囲気が広がったと聞いています。





ですが、言葉もままならない外国であのような未曾有の惨事にあう心細さという物を

外国に暮らす私達であれば容易に想像できると思います。


周りの人の言っていることが分らないのであれば尚更同じ国の人同士で固まろうとするので

はないでしょうか?? ましてや彼らの多くはまだ頬も赤いような若者達が中心なのです。




これは津波が来た日に私の妹が見たことなのですが、


その日の夜遅く赤ちゃんが眠った後、病院の周りを歩いていると中国語で話す声が聞こえて

来たのだとか。 ちなみにうちの妹は中国語ができます。



どうやら病院の人が避難して来た人の為に。と置いていた病院のシーツを

使ってよいのか、どうかを躊躇していたようなのです。



妹が声をかける前にその中国人の女性はたどたどしい日本語で”寒いのでシーツを使っても

良いか? ”と聞いたようで、無事シーツを手に入れることができたのだ姿を見て



妹曰く、そこに置いてあるシーツは自由に使ってよいという情報は夜になる前に周知されていた

事だったのですが当然ながらそれは日本語で周知されており、日本語が片言の彼らは

夜中になるまでその情報を知らなかったようなのです。



異国の地で自分の国では経験した事のない災害にあい、寒い思いをしながら明かす夜。

妹は自分も異国に暮らす経験を持つので、その不安が理解できて、この子達も大変な

思いをしているんだ。と思ったそうです。




それから病院を離れて大勢がいる避難所の事も、うちの妹が見るところでは、何人かの人が

批判するように、救援物資をいくつも貰おうとしているのではなく

自分のではなく、仲間の分も貰ってあげよう。としているのにそれをうまく説明できな

かったり、心細くて彼らだけで固まって焚き火などをしているのを徒党を組んでいる。

と思われたりしたのではないか?と言っていました。



わたしの家族が知る限りでは町内においては中国人が何か悪い事をしたという事は確認

されていない。という事でした。



地震から1週間ほど経って中国大使館がバスをチャーターして地域で働く中国人を帰国させ

るべく迎えに来るまで彼らもさぞ心細い思いをした事だろうと思います。




私の妹は彼らがものすごく嫌な思いをして帰ったのではないか?と度々気にしていました。

私ももしもスペインでそんな目にあい、まして窃盗を働いているなどという噂を耳にしたら

それは傷つくだろう・・・・と思っていました。



でも、実は中国ではこんなニュースが取り上げられていたのです。 こちら


この話しはいくつかのメディアでも取り上げられていましたし

先日 温家宝首相が名取に来た際にも言及されていました。


中国でもこの話しは取り上げられているらしく、あちらの報道では首相自ら女川町を

訪れたい。と打診したらしいのですが、受け入れ態勢などの関係で町が断ったとか・・・

なんとか。



そして震災から一ヶ月程たってから、研修生の多くが暮らす中国の大連の関係者の方が

町を訪れて、少なからぬ額の義援金を渡していったのだとか。



そしてお隣台湾の人達もこの報道を聞いていたく感激し、亡くなられた方の名前を冠した

バスを町に寄贈したのだとか・・。




この亡くなられた方が専務を勤める佐藤水産には私は随分お世話になりました・・・。



というのもこの会社は生うにを加工している会社でなのです。



私は生うにに目が無いんです。何はなくても生うに。


実家に帰ったとき、母が ”最後に何食べたい?”と聞いてきたら


夏の間であれば”生うに”と即答するくらいでして・・・。



ここの会社にちょっとした知り合いがいたので、随分とおまけしてもらいました。


アンヘリートも随分良い思いをしました。彼はスペインで最も良いうにの味を知っていると

言っても過言ではないでしょう。 


だって、殻付きのまだ動いているの食べれる人なんてそういないですから・・。


あの美味しいうにがまた食べられるようになる日が一日でも早く来るといいな。


この佐藤専務のおかげで、どうやら女川町の事を苦い思い出として感じている人はいない?

ようで、本当に安心しました。



思えば関東大震災の時には朝鮮人や中国人に纏わるデマが飛び交い、亡くなった方もいたの

です。それから90年。 こういった外国人に対するデマや白眼視は残念ながらまだ残って

いる物の、それでも大きな変化があるという事です。

人間は過ちから学ぶ事ができるんだと言う事なんですね。




最後に、研修生を逃がした後に亡くなられた佐藤充さんのご冥福を心よりお祈りします。


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被害を免れた場所では何事もなかったようにツツジが満開でした。


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by melodynelson-2812 | 2011-05-29 04:30 | 東北復興へ向けて

そして略奪はあったのか?

 
 日本で見たドキュメンタリーの再放送がかなり良かったのです。


”20万人の瀬戸際を救え ” という題のドキュメンタリーなのですが


震災直後、地域内で唯一機能している総合病院だった 石巻赤十字病院の様子を



震災直後( 正確には分りませんが3,4日後では?)から1ヶ月後までを追う。



というものでしたが、あのような混乱の中で良くもこれだけの映像を取り続けた物だと


NHKドキュメンタリーの底力を感じました。



インターネットで見ることはまだ不可能なようですが、このドキュメンタリーは記録としても


勿論の事、なんといっても現場と現場から離れた場所で指示を出す行政の愕然だる認識の差、


反応の差、当事者感の無さをみごとに立証してくれています。



赤十字の外科部長の石井氏が現場での劣悪な環境を前にし、

業を煮やして仙台の県庁まで出向き


そのあまりの状況認識の甘さについつい声を荒らげて抗議をしているのに、

対応する側はあくまで腰砕け。。。


言い訳せずに ”それは知らなかったこれからすぐやる!”と言い切る男気はおろか


”それはできん!”と怒って言い返すこともなく・・ただ言い訳のみ・・。


是非、機会があれば一度見ていただきたいドキュメンタリーです。



この番組の中で津波から5日目くらい(?)に、各地から救援に集まった医療関係者を前にして


コーディネーターとして統括する石井氏が各医療チームをどこにどう派遣するからを検討する


シーンがあるのですが、 其の中で


”石巻市の某地区の治安が非常に悪化しており未確認ではあるが略奪、殺人、暴行など

の情報がある為、医療チームを派遣する事を見送るべきだ”


という発言がありました。

番組内では結局、他の医師からの強い反対意見があり結局折衝案を


見つけて、屈強な男性医師を中心にその某地区へと赴く事が決定されました。


実際に行ってみると、その某地区は圧倒的に物資が足りていない事が判明し・・・・


それで前述の仙台へ行って、直談判。 というのに繋がるのですが・・・。






実は、この医師達が派遣を検討している時に私もちょうど東京からなんとかして

両親の元へといけないものか??? 


と方策を探していた時期なのですが、私も何人かの人から



”今被災地は治安が悪いらしい” これは具体的に 


”石巻は・・”と言われたこともあるしあとは ” 中国人が略奪していて・・・”という

説明がついた事もありました。



まさか・・・と思う反面、あまりに非現実的で悲惨な津波被害の様子の連続でその時は判断力が


鈍っていたのか、それとも自分の真の部分がそういう人間なのか(そうは思いたくないけど)


一瞬、その噂を信じかけて 電話して来たアンヘリートさん(旦那)にその事を話すと



”うそだよ。そんな事信じているの? まさか中国人がどうこうって信じてるの?”


と強い口調でたしなめられて恥ずかしい思いをしたのですが・・。


実際震災から1週間後に両親の家に行った時には車の中にありったけの物資を詰め込んで、


石巻→女川と立ち寄ったのですが、


石巻で立ち寄る時は車から絶対離れないで。と従兄弟から


強く言われていましたが、 実際着いてみるとそんな危険な感じでもなく心配は杞憂だったのですが



実際問題、略奪や窃盗はあったのでしょうか??



地元の人から私が聞いた話しを自分なりに総合すると、多分窃盗、略奪はあったと思います。


NHKのルポの中で名指しされていた地区。 現在うちの両親はその近くに住んでいますが


父が散歩の途中に


”ほれ、あれが略奪があったと言われているドラッグストア。”


と教えてくれましたが確かにそのドラッグストアは津波被害とは思えない場所のガラスが大きく


割られていたり、ドアが壊されたりしていました。



こんな自動販売機もありました。

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もぎ取られています。

私が1週間後に物資を持っていったときも父の親戚から 

”とにかくタバコ!タバコを持ってきて!”

と言われて、こんな状況なんだからタバコの一本も吸わせてあげたい・・・と

東京から飛行機で着いてすぐ物資不足の山形市内で、買いだめ疑惑の目を向けられつつも・・・

ありったけのたばこのカートンを捜し求めて歩き回った私ですから

自販機引きちぎる気持ちも・・・・実はわかります。




津波被害が大きい地域の中でなぜかぽっかりと被害がなかった地区にある大型ショッピングセンター


は地震後何日か営業をしていたらしいのですが、盗みが多い為に営業を取りやめお店にあった物品は


救援物資として提供したそうです。

そもそもお金を一銭も持たずに逃げた人たちが多かったあの地区で、絶対的に限られた物資を

最大限に活用しようとしたら、通常の商業営業の形を取るのはそもそも間違いだったのでは??



また、同じく件の地区から遠くない場所に住む親戚の家は2階部分は水が来ませんでしたが数日後


に家に帰ってみると、洋服や金融書類が無くなっていたそうです。


自動販売機を壊して何かを持っていくのを見た人は沢山います。




さて、この話しをフランス人の友人に話したら




それは、un vol (窃盗)とは言わないんじゃない?une survie って言うんじゃない??



survie というのはサバイバルの事です。


要は彼にとってはドラッグストアに侵入するのもスーパーで食料を盗むのも非常事態においては


生きるための最終手段で、それを窃盗と呼ぶ事はできない。という理論なのです。




ちなみにアンヘリートさんも似たような事を言っていました。



正直フランス人やスペイン人の考え方からいってこういう風に思うのは予想がつくし、


私自身納得できる部分もあります。 事は人の命がかかっているのですから。



それと同時にこれを ”窃盗 ”と呼んで良しとしない日本人のメンタリティーも貴重で大切に


したいとも思うのです。




さて、中国人が・・・というのは一体どうだったのでしょう??



長くなりましたので、続きは次回にしたいと思います。

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追記ですが


身内の話しになって恐縮ですが、うちの妹が震災当日の様子をブログで書いています。

何度もその時の様子を話し合ったにも関わらず、読むとまた恐怖がこみ上げてきます。

そして、実際にその場にいた人の描写は当然ながら真に迫っています。

こちらのブログです。

良かったら読んでみてください。 


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by melodynelson-2812 | 2011-05-28 04:47 | 東北復興へ向けて

国の財産

 
  今回強く思ったのは、


国に ( これは国に限らず地域に市町村に、いや山河ある所にと言ったほうがしっくり来るのですが・・)


とって最も大事な財産は結局の所


人間


だという事。



ハコ物作ったり、GDPが何位だとか一喜一憂していたけど



結局、そこに何も無くなったときに一番必用になるのは


人間。


人間の能力、やる気、考える力、行動する力


という事です。



こんな活動されている団体がいます。 


大丈夫屋




これを運営されているのが地元の方かどうかは問題ではないのです。



何もない所に来て、行動を始めようとするその気持ち。



こんな活動をされている方もいます。


うみねこタイムズ


情報過多が大切な情報を殺している状態の現代社会で



結局、地元の人々が壁に貼って毎日参考にしている情報は


有志が集まって手書きで書いているミニコミ誌なんです。



大切な物はお金では買えないものばかり。


3月11日以降、 私が何度も思っていることです。





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by melodynelson-2812 | 2011-05-24 21:21 | 東北復興へ向けて